腰痛の数値化と数値の比較の信憑

痛みと感覚を数値化する

 腰痛で来院された患者と施術者との間でその痛みの感覚を共有することはできない。また逆に、施術者が知覚した患者の体の状態や施術後に知覚した変化の度合いについても患者は施術者の知覚したものを共有することはできない。しかし、患者の主とする訴えの変化を数値化すること、また、施術者が知覚した施術対象の変化を数値化することで、両者において間主観的な感覚を共有していると言える。

 患者と施術者の知覚している対象の変化を数値化することは、その後の施術や、他の施術者との共有など、様々な場面でも共有できる数値であろうか考える必要がある。

 患者の訴える症状に05段階(0:自覚症状なし、1:わずかに感じる、2:少し感じる、3:感じる、4:かなり感じる、5:死ぬほど感じる)の評価を付けてもらう。このように患者の自覚症状を数値化することにより知ることが可能だ。施術前に付けた評価と施術後に付けた評価とを比較することで、5の評価が4の評価に変化した、3の評価が5の評価に変化したなど、増減値を取ることによって施術の効果をどのくらい実感しているかを共有することができる。

 患者の訴えと同様に施術者の側でも患者の体から知覚した状態に05段階(0:反応なし、1:反応をほんのわずかに感じる・境界線は全く分からない、2:反応をわずかに感じる・境界線はこれかなと不明瞭、3:反応を感じる・境界線を一部感じる、4:反応をハッキリ感じる・境界線の全てを感じる、5:反応を疑いなくハッキリと感じる・境界線を全て明確に感じる)の評価を付けてもらう。このように、施術者側の方でも知覚した情報を一定の基準で数値化することは、施術中の患者の体の変化を確認しやすくなると考えられる。たとえば、施術中、最初に知覚した段階、途中で知覚した段階、最終的に知覚した段階と、それぞれの段階を比較することで患者の体から知覚した状態の変化を数値として比較するのである。数値化したものが、最初4の評価が5の評価に上がりその後2の評価に変化した、最初1の評価が最終的に5の評価に変化したというように、患者の体の変化の度合いが比較しやすくなる。

 

互いに納得のできる数値

 このように数値化の変化を示すことは、個人のみが知り得る情報を第三者へ伝えやすくすると同時に、変化の量を伝える手段として有効といえる。数値化した患者の評価と施術者の評価の変化が比例していれば、その施術によって何らかの効果が表れていると考えられる。逆に、数値化した患者の評価と施術者の評価の変化に全く関連性のない数値の増減が見られた場合、その施術によって何らかの効果が表れているとは考えにくい。患者側と施術者側の知覚した変化の度合いは、増えたにしろ減ったにしろ比例している方が、何らかの効果があると言えるのだ。

 次にある施術者が知覚した対象を、別の施術者と共有することは可能だろうか。数値化したところで、知覚そのもの違いにより、同じ状態としての対象を知覚できない、または、そもそも対象を知覚できない、などの可能性は十分に考えられる。同一の対象が存在していないと考えると、同じ状態の対象の知覚は不可能である。しかし、対象が消失していない限り、何らかの形で対象を知覚することは可能と考えられる。ところが、知覚は施術者によって差異があり、必ずしも対象を知覚できるとは限らない。

 

腰痛の数値化は患者と施術者間しか共有できないのか

 たとえ、患者が協力をし、施術対象へ別の施術者を誘導したとしても、別の施術者がある施術者と一寸違わず同じ施術対象を知覚することは不可能であろう。それは同じ施術対象を触知しても人それぞれ知覚には差異があるからだ。さらに、同じ施術対象を同じ時に、または同時に知覚することはできない。施術対象が刻一刻と変化をしている以上、同時期の同じ場所の知覚でなければ同じ状態の施術対象といえない。また、施術者間における知覚の差異によっては、対象の存在を知覚することもできないかもしれない。

 数値化をし、それを比較することで、患者と施術者間において、対象の普遍的な確信は可能であるといえる。ところが、ある施術者と別の施術者間の対象の確信は不可能と考えられる。この施術者間における対象の共通認識の困難さが、知覚に頼る施術の伝承が困難な理由であろう。この問題を解決するために、施術者の知覚について考察を掘り下げていきたい。