あん摩マッサージ指圧師について

あん摩マッサージ指圧師について

あん摩を業としている人たち

 あん摩師は、存在している。しかし、『あん摩』という言葉を、公共の場で聞いた人はいないであろう。なぜなら、『あん摩』という言葉は、放送禁止用語だからだ。放送禁止用語になっている背景は、あん摩(按摩、あんま:人の体をもみほぐしたり、圧迫したりすること)を業(ギョウ:仕事としていること)としていた人たちの特徴にある。江戸時代では、あん摩は目の見えない、または、目が不自由な人たちが行う仕事であったことから、視覚障害のある人を「あんまさん」と呼ばれるようになった。その結果、「あん摩=視覚障害者」という差別的な意味合いで認識されるようになり、放送局の自主規制により放送禁止用語となった。

 当時、『あん摩』以外に放送できる別の用語では、『マッサージ』または『指圧』しかなかった。『マッサージ』という用語について、エステティックサロンのリンパマッサージ、リラクゼーションサロンのオイルマッサージ、○○式(感)マッサージなど、多くの業界で使用される用語のため、施術内容が誤解されることもある。

残された『指圧』についてだが、こちらの用語は世間で大きく認知された。昭和の時代、メディアに取り挙げられた浪越徳治郎先生(1905113日~2000925日)の「指圧の心は母ごころ、押せば命の泉湧く」というキャッチコピーがヒットした。そのときは『指圧』という看板さえ上げれば、どの施術所も「予約でいっぱい」という繁盛ぶりであった。その一方で、『指圧』という言葉から「一点を持続的に押す施術」との印象が定着し過ぎてしまった。そのため、『指圧』の手法である「揉む」「運動」などという「圧迫」以外の手技が患者側より誤解を受けたり、敬遠されたりすることもあった。

 現在では『あん摩マッサージ指圧師』(国家資格の名称)の名で、2014年より放送は可能とされている。

 『あん摩マッサージ指圧師』となるためには、国の定める学校において3年間専門の学業と技術を学んだ後、国家試験に合格しなければならない。ところが、『あん摩マッサージ指圧師』を習得するための学校の数は少ない。その理由は、視覚障害のある方の職として保護される観点があるからだ。日本国内で認められた様々な資格は、学ぼうと思えば学べる環境にあるのだが、『あん摩マッサージ指圧師』に限って言えば、そもそもの学校の数に規制があり、学ぶ機会は少ない。そのため『あん摩マッサージ指圧師』免許習得者数も制限される。純粋なあん摩師が少ない理由の一つと言えるだろう。

 『あん摩マッサージ指圧師』が、広告を打ち出す際、使用する表現や用語に規制は多い。先の『あん摩』という言葉が、放送禁止用語であったことは、その一例に過ぎない。『効く』『治る』『効果がある』といった薬事法にかかわる規制用語は数多く存在する。ここ最近では、『東洋医学』という用語でさえ規制された。中国から伝わり、日本で普及した『あん摩』は法により700年ころ明文化された。歴史的事実により『あん摩』は列記とした『東洋医学』と言えるだろう。しかし、現在の日本の法律では、『あん摩マッサージ指圧師』の広告として『東洋医学』は適切な表現ではない、というのである。国家資格によって管理している職種とは到底考えられない矛盾である。当然ながら、これらの法律に違反をすれば罰則が存在する。違反した場合、最悪、苦労をして習得した国家資格をはく奪されてしまうのだ。

 それならば、国家資格を習得しなければどうであろう。広告に制限はあるものの柔軟な表現で広告が可能、『マッサージ』という用語は使い放題、免許を取得するための学費や年数は不要、はく奪される資格は存在せず、とこのようにメリットばかりがあり、デメリットはないのである。結果、国家資格を習得していない人が開業する「マッサージまがいの業が増加する」のだ。

 実際、『あん摩マッサージ指圧師』免許を習得していない人による『マッサージまがいの業』の店舗の増加は著しい。自分自身の開業のために金銭と時間を使用し、デメリットのない広告を打ち出している店舗同士がネットを中心とした情報戦で互いに競い合っている。こういった店舗の広告や情報があふれる中、正しく国家資格を習得し開業している店舗を探そうとしても、まず見つけることはできないであろう。正しい国家資格保持者の数は少なく、しかも、広告の制限があるためだ。結果、世の人たちは、本来のあん摩師について、知る機会が少なくなるのだ。

診るという世界

 あん摩マッサージ指圧師の世界で『診る』手段は、主に「質問をして聞く」方法と「触って感じる」方法とがある。つまり、『問診』と『触診』の2つの手段が『診る』ための主な手段ということだ。

どのような場合でも、はじめに施術者は患者へ『問診』により症状の聞き取りを行っていく。『問診』では患者に、自覚したとき、きっかけとなりうる記憶、具体的な症状、症状が発生する条件、発生する頻度と発現時間、というように『問診』では様々な聞き取りを行う。ところが、『問診』では「症状を感じている患者の主観」を言葉として聞き取っているに過ぎない。問診者は、患者の訴えを聞くだけで、患者の症状を共有したとは言えない。患者の症状は患者の主観であり、問診者は患者の話から「患者の症状を想像する」だけなのだ。もしかしたら、問診者がその患者と似た症状を経験したかもしれない。そのとき、問診者は、患者の症状に対して一定の共感はできるであろう。しかし、その場合でも、完全な共有はできない。

問診者が経験豊かであれば、患者の訴える様々な症状に対して、一定の共感を示すことはできると考えられる。それでも、問診者が経験をしたことのない症状や想像しがたい症状などに共感することは難しいことだ。そこで、患者の症状に共感や共有をしやすくする方法がある。それは『症状(痛みなど)の尺度化』だ。患者と問診者との間で、一定の尺度として、症状(痛みなど)の段階に応じた数字(尺度)を利用する。『〇(最小数:例えば零)は症状なし』から『○○(最大数:例えば百)は死ぬほどの症状』とすることで、患者の示す数字から問診者が「どれほどの症状として考えればよいか」の指標とするわけだ。

このような『問診』を行う際、自然に『視診』を同時に行っていることが多い。『視診』では、患者の表情や動きなどを観察している。特に患者の動きでは、「関節の可動域を目で見て数値化することができる」ため、症状の指標とされやすい。

 『問診』を終えたのち、または、その最中に『触診』を行うことがある。『触診』では、手指をもちいた方法が一般的であり、あん摩マッサージ指圧師の場合、施術と並行して行われることもある。

 『触診』では、主に施術者の手指にて、患者の皮膚表面上の状態(触感や熱感など)を感じ取る。また、皮下に存在する筋肉の状態、脈、浮腫みなど、皮膚面の深層の状態も合わせて感じ取っていく。手指にて感じ取った情報は、最初に「施術するべきところ」と「施術するべきではないところ」とを区別するための判断材料とされる。

この際に1つだけ施術者は注意が必要だ。それは、先に行っている『問診』の情報と、『触診』の情報とを混同させないということである。施術者の知識による判断(学術的な知識、問診の情報、施術者の経験など)と、手指にて感じ取った情報による判断とを混同させると、「施術者の頭の中で勝手な症状を作り上げてしまう」ためだ。

人の体が不調になってしまう原因を考えてみよう。不調の原因を考える時に基本となる学問は、解剖学や生理学という学問だ。これらの学問は、科学によって証明され、現代では皆が普遍的な事象としてとらえている。患者の視点ではどうであろう。患者は、自身の不調について体験をしている。この不調の体験は、患者自身の様々な経験や思いが折り重なり出来上がった『物語』だ。この患者の『物語』は、患者のもの、すなわち患者の主観である。施術者が患者の『物語』に付き合っていくのであれば、それは人生相談でよいだろう。ところが、施術者には、体の不調の原因を突き止め、改善することを求められている。そのためには、患者の『物語』ではなく、患者の体の反応を的確に感じ取り、その一つ一つを解剖学や生理学に沿って適切に処理していくことが必要となる。もし、患者の体の反応に不調となる原因を感じ取れなければ、それは、施術者による施術の対象外が原因と言える。だからこそ、施術者は患者の『物語』に合わせてはならない。『物語』を知ることは、施術の指標になるし、患者の不安の訴えを確認するために必要なことだ。しかし、何度も言うが、体から感じ取った情報を、患者の『物語』に混ぜてはならない。それはそれ、と別の情報として判断するのである。別の言い方をすると、知識と感覚は『並列思考』によって処理をするということだ。

触覚の共有化

 施術者が施術中に手指にて感じ取っている情報を考えてみよう。施術者の手指によって、最初に触れる患者の体の組織は皮膚である。施術者の皮膚と患者の皮膚が直接触れ合っていることになる。施術を行う際、衣類や手ぬぐい、タオル、時にはツボ押し棒のような器具を使用するなど、皮膚と皮膚との間に何らかの物体を挟んでいるかもしれない。どのような場合であっても、施術者は手指をもちいて患者の患部を触れている。なぜなら、手指は人体の中で感覚に優れ動かしやすい部位だからだ。また、患者の患部を触れるのは、そこに問題が発生しているからだ。施術者は手指の鋭敏な感覚で、患者との皮膚接点より体の情報を感じ取っている。

 それでは、施術者が患者の体から感じ取っているものは一体何であろう。手指の感覚を言語するのであれば、「凹凸を中心とした表面上の形状」と「弾性や振動や響きといった反発力の度合い」を感じている。もちろん、それ以外にも皮膚の表面の状態や熱感なども感知するが、施術の際に重要となる皮膚接点では、『形状』と『反発力』の2つを触知している。

 『形状』と『反発力』の感知は、手指の感覚が優れていれば、誰であっても可能だ。「ここの形状がこうだ」、「あそこの反発力はこうだった」、という具合に、触知したことを自身の中で感じ取れればよい。ところが、触知したことを第三者に伝えるときは、途端に不都合が生じる。「ここがああ」や「あそこがこう」では、伝えられた第三者は、場所も状態も相手が何を触知していたのか全く分からないのだ。

場所については、施術者は解剖学という普遍的な科学によって、触知した場所を第三者と共有することが可能だ。例えば、「ここ」ではなく「アキレス腱の外側で腓骨下端の後面」という具合に表現ができる。次に、生理学という普遍的な科学は、『反発力』について、患者との共有を可能にする。例えば、患者の患部を触診したとき、「反射的に発生する筋肉の動き」を触知できる。触知した反射的な筋肉の動きをより明確に触知していく行為に患者は「悪い所を探してくれている」と感じるだろう。このように、解剖学と生理学による普遍的な科学は、施術者が患者の訴える症状について、原因を触知し、その場所や状態を第三者と共有できる手段となるのだ。

 第三者と共有できる情報は、人体構造で判断する『形状』と、生体反応で判断する『反発力』ということになる。ここで注意するべき点は、症状発生の原因の判断についてだ。原因の判断には、人体構造の『形状』ではなく、生体反応である『反発力』で判断している。症状に対して発生する反射的な筋肉の動きが『反発力』であり、施術者が触知できる唯一の反応だからだ。この『反発力』を、さらに具体的に触知することは、患部を的確に捉えていると言えるであろう。ここで2つ目の『形状』、すなわち『反発力の形状』が登場する。

 『反発力の形状』では、人体構造的な『形状』と『反発力』を感知することが必要だ。『反発力』の表面上の凹凸はもちろんだが、『反発力の強さ』も感知することが、『反発力の形状』を詳細に触知する上で重要となる。触診で共有するべき内容は、『反発力』の表面上の凹凸や『反発力の強さ』といった具体的な『形状』、すなわち『反発力の強さと形状』と言える。

 触知した感覚を言語化して『反発力の形状』を第三者と共有する際、表面上の凹凸や大きさなど『形状』については比較的言語化しやすい。また、図に示すことも可能だ。一方、『反発力の強さ』はどうであろう。先に示した共通の尺度(診るという世界 『症状(痛みなど)の尺度化』参考)を利用するとよい。『反発力』の強度に応じて数字を割り振れば、おおよその『反発力の強さ』を数字によって第三者と共有できるというわけだ。


解剖学と生理学の視点

 施術者と患者の接点を解剖学で見ると、皮膚と皮膚である。人の手指は無毛皮膚であり、脳に直結する4種類の感覚受容器が密に存在する。一方、表皮の多くは有毛皮膚で、感覚受容器の種類は無毛皮膚と同じであるが、感覚受容器の分布は粗になっている。手指による感知能力は、ポケットの中の硬貨を探り当て、その硬貨をコインパーキングの精算機に投入し、投入した硬貨が回収されるまでの過程を感じ取れるほど優れている。目で確認せずとも、これら一連の動きを滞りなく可能にしているのは、感覚受容器のおかげである。施術者の手指は、感覚受容器によって患者の皮膚だけでなく、その深部の状態まで「こと細かく感じ取っている」のだ。

 では、患者の皮膚の深部には、一体何が存在しているのであろう。人体の解剖で皮膚をめくると、脂肪、血管、神経、筋といった組織が確認できる。その中でも、筋は大きくて厚みもあり、皮膚と同様に全身に分布している。筋の総量は、人の体重のおよそ三割から四割ほどである。人の体幹(腹部を除く)では、筋の奥に骨や関節があり、さらには内臓も存在している。四肢においては、筋の奥に骨や関節が存在している。施術者の手指で感じ取っている皮膚の深部とは、皮膚を介して確認できる脂肪、血管、神経、筋を示している。また、場合によっては、筋を介して骨や関節、腹部では内臓をも示している。

 患者の患部について考えてみよう。患部は、正常なところとは違い、異常を抱えている。この異常を治癒するための生体反応を、生理学では『炎症』という。『炎症』には『発赤』『発熱』『疼痛』『腫脹』という4つの反応がある。この4つの反応の中で、患者が患部を気にしている一番の理由は『疼痛』であろう。なにせ痛いからだ。痛みを感知すると、人の体では反射的な筋肉の動きが確認できる。その動きこそ『筋の収縮反射』である。施術者の手指は、患者の皮膚を介して『筋の収縮反射』の有無を感じ取るのだ。『筋の収縮反射』を感じられないところは異常なし、『筋の収縮反射』を感じるところは異常あり、という具合だ。異常を感知したところ、すなわち『筋の収縮反射』こそ、先に説明した反発力の1つであり、施術対象なのである。

反発力を触知したならば、次は反発力の形状を触知していく。施術者の手指は、患者の皮膚を介して反発力の大きさや凹凸といった形状を明確に感じ取っていく。この行為が施術の本質と言えるだろう。反発力の形状の凹凸を触知できたとき、凹の部分は反発力が弱いところだ。反発力が弱いということは、患部の中でも『疼痛』が少ないところであろう。一方で、凸の部分は反発力が強いところだ。反発力が強いということは、患部の中で『疼痛』を強く感じているところであろう。この凹凸の境目では、筋肉の動き(収縮と弛緩)に『ちぐはぐな差』を発生させている。人体で発生する『ちぐはぐな差』は、強い痛みとして認識される。これは、生理学で『伸張痛』と言われる痛みだ。逆に、凹の部分が凸の部分に近い反発力になれば、『ちぐはぐな差』は減少し『伸張痛』も減少する。凹の部分は『疼痛』が少ないため、手指の動きによる刺激が分散しやすい。凹の部分で分散した刺激は、その部分の循環を促進しつつ、強度の違う凹凸の境目に集中し、反発力の中で炎症反応を促進することになる。手指による刺激の結果、凹凸の境目では『循環の改善』と『炎症の促進』が発生するのだ。また、施術中の施術者は、手指による刺激を繰り返すことで、患者の患部で感じている反発力の強度と凹凸の形状に変化を感じる。凹の部分に刺激を与え続けていくと、全体の反発力の強度は低下し、凹凸の形状がなだらかになっていく。凹凸の形状がなだらかになっていく変化を、現代の科学で推測するなら、循環改善による鎮痛作用促進と、炎症促進による腫脹を触知しているからだろう。

選択する刺激

 施術者の手指により触知している患者の反応は、反発力であった。反発力の形状や反発力の強さを施術者の手指にて感知することは、患者の筋肉の動きによって患部の炎症反応を察知していることと言える。反発力の形状では、表面上の凹凸の形状により、炎症疼痛の弱い強いを判断できる。また、反発力の強さも数値化することにより、段階的に炎症疼痛の弱い強いを判断できる。こうやって施術者の手指が、患者の患部より反発力の強弱を触知したときに行う、適切な施術刺激を考えていこう。

 筋肉の動き、すなわち、筋の収縮反射は、炎症反応である発赤、発熱、疼痛、腫脹に起因する患者の患部の生体反応である。逆に、炎症のない正常な体の部位であれば、筋の収縮反射を感知することはない。

では、反発力の形状や、反発力の強さに感じられる違いは、一体何であろう。反発力の形状にみられる表面上の凹凸の形状から考えてみよう。表面上の凹凸の形状では、一部分が凹み、その周囲は盛り上がっている。凹んでいるところの反発力が弱く、一方、周囲で盛り上がっているところの反発力は強いと考えられる。次に、反発力の表面上に凹凸の形状がなく、反発力だけを触知した場合はどうであろう。まず、感知した反発力の外縁部を頼りに、反発力全域を明確に触知していく。すると、多くの場合、反発力全域の中に、より強い反発力を感知することがある。このように、反発力の形状にかかわらず、反発力の中には反発力の弱いところと強いところとが混在しているのだ。このような筋肉の内部で発生している反発力の弱いところと強いところの混在こそ、ちぐはぐな動き、すなわち、伸張痛を発生させていると考えられる。

伸張痛は、筋肉のちぐはぐな動きによって発生する。ということは、筋肉の動きの中で発生するちぐはぐな動きの差を消失させることができれば、伸張痛も消失するわけだ。先の、『解剖学と生理学の視点(~反発力を触知したならば~参考)』でも触れたが、凹凸部分では、手指による『摩擦法』を中心とした振動による刺激が効果的だ。施術者は凹凸部の境目に焦点を合わせ、手指により摩擦を繰り返す。その際の摩擦する刺激量は、患者の患部が強い筋の収縮反射を起こさない程度にとどめなければならない。なぜならば、筋の収縮反射により筋が強く収縮してしまうと、摩擦の刺激が凹凸部の境目に到達しにくくなってしまうからだ。手指の『摩擦法』による振動刺激が凹凸の境目に到達すれば、不完全な炎症の促進と、循環の改善により、表面上の凹凸の形状がなだらかになっていく。

一方、反発力の形状に凹凸がなく、かつ、反発力の弱いところと強いところが混在している場合は、反発力の最も強い箇所を、ほんの少し伸ばしてみることだ。反発力の伸ばし方には、関節を動かす方法もある(ふくらはぎがつった「こむら返り」を回復させる『運動法』と同様)が、施術中に最も有効なのは、手指により触知した反発力の強い箇所を、そのまま『圧迫法』により伸ばす方法だ。一定の範囲で筋肉を伸ばし続けることで、筋と腱との間で行われる神経信号のやり取りが一段落し、筋肉が不意に弛緩する。神経信号のやり取りを沈静化させるための注意点はいくつかある。1つ目は、患者の患部で感知した反発力に対し、反発力のより強い方向へ圧迫の方向を合わせていくことだ。反発力に対して圧力の焦点が合っていないと、筋への刺激量が足らず、神経の興奮が不十分となってしまう。すると、神経信号のやり取りが不完全に終わってしまうのだ。2つ目の注意点は、強い筋の収縮反射を起こさない範囲で、持続的に同等の圧力による圧迫法を行うことだ。圧力の変化を神経が感知すると、神経信号のやり取りも断続的に変化してしまう。神経信号が変化していると、筋と腱との間で行われる神経信号のやり取りは一向に落ち着かず、筋の弛緩が発生しにくくなるのだ。施術者の手指による『圧迫法』が適切に行われれば、長くない時間(数秒から12分程度)で、患者の患部で触知した反発力が不意に弱くなる(場合によっては消失する)。

結果、筋肉の中で発生していたちぐはぐな差は小さくなり、患者の伸張痛は軽減(または消失)するのだ。

思いやりと施術

 患者は症状に悩み、施術者へ助けを求めている。

患者の症状には、『急性』のものと『慢性』のものとがある。患者の症状が『急性』であろうが『慢性』であろうが、施術者へ訴える患者の症状はすべて患者の主観、すなわち物語だ。施術者は患者の物語の中から、症状の共有を図らなければならない。そのための質問が、①いつから(自覚した日時)、②何をして(自覚したきっかけ)、③自覚したときの症状の範囲と強さ(症状の強さは共通の尺度を使用)、④現在の症状の範囲と強さ(③と同様の尺度で確認)、⑤施術に何を求めているのか、以上5つの項目だ。施術者は、患者の物語をただ聞くだけではなく、患者が施術に何を求めているのかを確認し、どのような手助けが可能か具体的に伝えた方がよいだろう。

患者の症状は、炎症の疼痛によって悩まされていることがほとんどだ。そして、施術者の手指による触診では、疼痛のある患部に生体のもつ反応である筋の反射、すなわち、筋肉の動きを触知することができる。筋肉の動きは、施術者の手指による触診で判断するため、患者の主観と一致しないこともある。こういった場合、施術者に求められる技量は『感性』と『知識』だ。

施術者が施術のはじめに行う判断は、患者の患部に関連する施術範囲の厳選だ。施術する範囲を厳選するために解剖学や生理学が必要となるし、施術者の臨床経験も施術精度の向上に役立つ。普遍的な学問である解剖学や生理学は、患者の症状から判断するための基礎的な『知識』である。その一方で、施術者の臨床経験も、施術という実践の中で積み上げてきた『知識』と言える。

次に、触診や触知を伴う施術中での判断は、施術者の手指の感覚がすべてを担っている。施術者の感じ取った手指の感覚は、普遍的な感覚とは言えなくとも、患者の症状に関連した筋肉の動きを感知し捉えていれば、患者と共有することは可能だ。そのとき患者は、施術者の手指にて触れられたところを「そこが気になっていた」と同意を示すであろう。施術者と患者間の中で行われる施術では『感性』、すなわち、純粋に相手(この場合は筋肉の動き)を感じ取る能力が必要となる。

あん摩マッサージ指圧師の行う施術の技量は、『知識』と『感性』の量に関係する。ただし、施術の技量は『知識』と『感性』の加算ではない。もし、加算式に施術の技量が向上するのであれば『知識』のみで施術は可能となるし、『感性』だけでも施術はうまくいく。しかし、実際には『知識』が豊富な学者が一流の施術者とはならないし、『感性』だけで開業しても患者に施術の説明は十分にできないであろう。『知識』も『感性』も両方とも必要なのだ。そして、『知識』と『感性』の関係は、『積の関係』と言える。『知識』が零であれば『感性』がいくら優れていても積計算で零となるし、逆に『感性』が零であれば『知識』をいくら積み上げていたとしても積計算で零となる。あん摩マッサージ指圧師の施術の技量を向上させるためには、『知識』も『感性』もどちらも必須なのだ。

施術者に開業した理由を尋ねると「症状に悩む患者さんのために…」と回答される方が多い。あん摩マッサージ指圧師は、患者と直接関係を持つだけに奉仕の精神が強いのであろう。これは、患者の目線ではよいことであろう。ところが、「患者のために…」と強く思うことと、施術の技量とは違う。施術者の「良くなって欲しい」という思いは施術者の主観だ。主観とは、その人の中の話であり、普遍的な事象とは異なる。そのため、施術者の思いが強ければ強いほど、患者の訴えから「かけ離れてしまう」可能性があるのだ。患者の思いと向き合いたいのなら、患者の訴えをきちんと聞き取ったうえで施術を行えばよい。しかし、施術中は別だ。いったん施術に入れば、施術者の『知識』と『感性』にのみ注意をしなければならない。それこそが施術者『あん摩マッサージ指圧師の施術の技量』と言えるのだ。